目的がハッキリしていれば、手段はブレてもいい

先月は高熱を出してしばらく体調不良が続きましたが

やっと体調も万全になりました

  

体調不良の後、自分へのケアが出来ていなかったことを反省しましたが

それとは別に失速した原因となるものがありました

  

父が入院し、他県にある実家への往復

医療機関や福祉関係との連絡

事あるごとに対人トラブルを起こす父に対する各方面のフォロー

心身ともにかなりの負荷がかかりました 

 

身内のことですからある意味当然でもあるのですが

私がやらなければ💦

という思いが

強すぎたように思います 

またやってしまいました💦

 

同じことをするにも

心への負担が大きかったと思います 

 

冷静になれば

やるべき事は見えてくる

ある意味淡々とやったらよかったのかな

気持ちばかりが先行してしまったような気がします  

  

きっと肉体的疲労より

気疲れの方が大きかったと思います

無駄に気合が入ったことで

肉体的な疲労も感じにくかったのかもしれません 

 

まさに無理を重ねて自滅するパターンでした 

 

気合はあってもなくても

やれることは変わらない

ある程度身体的に無理をせざるを得ないなら

なおさら心は軽くする

 

減らせる負荷は減らしていく

誰かに頼ってもいい   

 

身内の入院は

それだけで大きな負荷がかかります

だったら

自分で変えられる部分をコントロールする 

そうすればトータルの負荷を減らすことはできる 

 

わざわざ自分を追い込んで

負荷を増大させてしまったら

本来出来たはずのことも

出来なくなってしまいます  

  

実際、私は高熱を出して寝込んだことで

暫く実家に行くことが出来なくなりました  

  

淡々と対応したら冷たく思われるのではないか?

使命感を持って挑むのが美徳なのでは?

心配を前面に出した方がいい?

どうも余計なものが頭の中にあったような気がします

 

今回は体調不良でダウンしましたが

それはそれで

自分を褒めて癒してあげたらいいのです

責める必要もなく

次は自分が崩れないバランスを保つことを考える

  

目的が果たせるなら

見てくれはどうでもいい

 

何のためにやっているのか

目的を見失わないように

そこに至るまで

手段は途中で変えてもいいと思います

  

アセビの花言葉に

「清純な心」「献身」「犠牲」があります 

「献身」や「犠牲」って

日本人がずっと大切にしてきた美徳のような気がします

しかし

犠牲が美徳の時代はもう終わりでいいと思います

  

目的を果たすために犠牲を払うしかないとしても

自分自身保てる範囲で行う

  

人によってキャパシティも違いますから

誰かがやっていたからと言って

同じようにできなくてもいいのです

   

自分を知り

自分に合った手段を見つけること

そして何より自分自身が納得することが大切だと思います

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