絶対を疑ってみる

自分が

「絶対に必要だ」

と思っていたことを

思い切って辞めてみると

意外と大丈夫である事も多い

 

私は母への電話の頻度にこだわっていた

父との生活に疲れている母の

気分転換になるはずだと思っていたから

  

母の調子はコロコロ変わる

認知症の症状はあるけど精神的な要素が強い

長谷川式を行うと劇的に回復する事もあった

当時の主治医によれば

ストレスのかかり具合で症状に差が出るのではないかと

  

私は母のストレスを軽減したくて

毎日のように電話をしていた

できなくても2日に1回とか

それで元気になってくれるのではないか

そう信じていた

  

娘の私の声を聞くのはいい事かもしれない

しかし、問題の本質はそこではない

ストレスを感じるのは本人の問題

母のストレスを軽減できるのは

他でもない母自身だということ

  

私は、電話の頻度を減らしてみた

すると、

してもしなくても同じように

母の調子は変動を繰り返すのだ

 

私の電話の頻度の問題ではなかった 

 

もちろんこれからも電話はする

でも、「毎日しなくては」とは思わなくなった

格段に私の気持ちは軽くなった

  

仕事から帰り、寝るまでに電話しようとするとなかなか難しい。

遅い時間は寝てしまうし

早い時間は父に見つかって母と話せなくなる

母は父の前では電話をしたがらないから

いろいろややこしい

  

無意味とまでは言わないまでも

半ば自己満足でやっていた頻繁な電話は手放すことにした

  

自分が「絶対」と思うものを

疑ってみる

 

何故ならただの執着かもしれないから

 

それを手放したとき✨

余裕が生まれ、事態は好転

新しい扉が開かれる✨

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