本当の家族

家族って何?

2月から脳出血、脳挫傷で闘病中だった父

11月初旬、誤嚥性肺炎と経口の食事の限界との連絡を受け

私はそれ以来、仕事以外の時間の中で出来る限り父に会いに行こうと思いました

週末や有給休暇を使って

いつどうなるか分からない状況だったのでプライベートな予定は白紙にしていました

  

それでも1か月近くその生活を続けて自分の身体の限界を感じ

身体を休めようとした12月初めの休日

入所先の施設から連絡が入りました 

 

「今朝から意識レベルが低下しました。数日後の面会予定の日まで保証できない状態です」 

 

休日とはいえ、緊張感はいつもありました

身支度を終え、買い出しに行こうと思った瞬間に電話が鳴ったのです

まるで導かれるように即座に家を出ました 

 

「お父さん、待ってて。今行くから待っててね。お母さんも一緒に行くからね」 

  

 

電車等で約3時間。実家に寄って母を連れて父の元へ

父はかろうじて意識があり 私たちの事は認識できていました

手もちゃんと握り返してくれました  

 

 

私は翌日にはどうしても仕事に行かねばならず

それは看護師さんも事情を分かってくれており 

 

「ここを離れるときは最期かもしれない」そういう気持ちでいて下さい 

 そう言われました

 

翌日の仕事がある…だけどギリギリまでいたい

電車を調べ、実家を始発で出れば遅刻ギリギリで職場に着ける

職場に事情を話してそうすることにしました

  

 

そして早朝、仕事に行く前に父のところに行こう

施設の人にお願いしたら早朝にもかかわらず快く了承してくれました

 

  

 

私は今まで、本当はあったのかもしれないけど

父が早く仕事に出ていたせいもあり

私の方から「行ってきます」と言った記憶がなかったのです

そうだ

「行ってきます」そう言おう

 

 

始発に乗る前に30分ほど父と話をしました

父はもう話はできませんでしたし、意識もハッキリしていません

しゃべったのは私だけかもしれませんが

確かに家族の会話がそこにあったと思っています

 

私は健康指導者になりたい

たくさんの人を健康にする手助けをしたい 

お父さんの様に転倒で大きな怪我を負ってしまう人が出きるだけ少なくなるように 

 

父は返事こそできませんが

聞いてくれている気がしていました 

  

 

そして覚悟をもって 

「お父さん、仕事行ってくるね。行ってきます😊」

「次は明々後日かな。ちゃんと待っててよ😊」

 

後半のセリフは無理かと思いつつも

湿っぽくしたくなかったので

あえて明るく言いました 

 

  

父は再び私が来るまで

軌跡的に本当に待っていてくれました 

 

仕事仲間の温かい配慮と協力もあり

最期の日までの数日間

私は実家に滞在し

毎日、数回母を連れて面会に行き

父を見送ることが出来ました 

 

私達家族は家族らしい事なんてないと思っていました

家族の楽しい思い出なんて

実はないんです 

  

 

でも最期の日までのこの時間は

一生忘れません

初めて感じた「家族の時間」 

 

感じたことのない とても穏やかな時間でした 

 

父は気性の荒い人でしたから

私はずっと避けて生きてきました

 

 

そんな父と向き合うと決めて

最後は「本当の家族」になれたかな

  

父は今までに見たこともない穏やかな顔で

旅立っていきました

 

今までありがとう

お父さん

 

これからは空の上から見守っていてね😊

 

私、持ち前の笑顔で

精一杯幸せに生き抜くからね✨

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